JR長野駅前で22日、3人が刃物で襲われ、市内に住む丸山浩由さんが死亡、男女2人が重軽傷を負いました。事件後に逃走していた矢口ゆうすけ容疑者はきのうの朝、自宅で逮捕され、調べに対し、黙秘しています。
逮捕された矢口雄資容疑者の父親が、息子の幼少期から現在に至るまでの経緯を語る…とすれば、何を話すのか…。
それは、息子ゆうすけへの愛情と被害者やその家族への深い謝罪の念であるに違いありません。
管理人である私には、同じぐらいの年齢の息子がいて、社会からはぐれてニートをしています。
正直、まったく他人ごとではありません。自分の息子が事件を起こしていてもおかしくなかった、平原が自分の息子にそっくり重なってしまい、眠れませんでした。
この記事では矢口雄資容疑者の父親を代弁し、やぐちゆうすけ容疑者について纏めました。
矢口雄資の幼少期「おとなしくいい子」長野通り魔事件
この度の事件に関して深い哀しみと後悔の念を抱いています。自分の息子がこのような形で人々に深い傷を負わせ、社会を震撼させることになるとは想像もしていませんでした。この出来事を通じて、私は親としての自分の責任や、息子が辿った道について深く考えざるを得ません。
雄資は幼い頃、とてもおとなしく、優しい子どもでした。家族や友人に対しても礼儀正しく、問題を起こすような性格ではありませんでした。母親である妻も、そんな雄資の成長を何よりも楽しみにしており、家庭は穏やかで平和でした。近所の方々からも、「矢口さんの息子さんは本当に良い子ね」と褒められることが多かったのを覚えています。
しかし、彼の中にはどこか繊細で傷つきやすい一面がありました。友達関係で悩んでいるときも、自分から話すことはあまりなく、私や妻が気づいて声をかけると初めてぽつりぽつりと話すような子どもでした。その内向的な性格が、後々の人生に影響を及ぼすことになるとは、この時点では思いもよりませんでした。
雄資は長野市内の小学校、中学校、高校に進学しました。小学校では学級委員を務めるなど周囲から信頼される子どもでしたが、中学校に進むと、次第に内向的な性格が目立つようになりました。高校は長野市の進学校に通っており、成績は平均的でしたが、部活動には熱心に取り組んでいました。友人もそれなりにいたようですが、親密な関係を築くのは苦手な様子でした。
矢口ゆうすけの母親の死とその影響「どうしてお母さんが」
雄資が大学生だった頃、私たち家族に大きな試練が訪れました。
妻が乳ガンを患い、闘病生活を余儀なくされました。雄資にとって、母親は何よりも大切な存在でした。
妻が亡くなった日、彼は涙を流しながら「どうしてお母さんがいなくならなきゃいけなかったんだ」と何度も繰り返していました。その言葉を聞いたとき、私は父親として彼をどう支えればよいのか、答えを見つけることができませんでした。自分自身も妻の死に大きな悲しみを抱えていましたが、息子の心のケアにもっと真剣に向き合うべきだったと、今でも後悔しています。
やぐちゆうすけの高校卒業とその後「時折みせる孤独感」
雄資は高校を卒業した後、私立大学に進学しました。進学先での生活について多くを語ることはありませんでしたが、時折見せる表情からは、どこか孤独感や不安が伝わってきました。それでも、彼は大学を卒業し、一時はIT企業に就職しました。その時は、「これで息子も一人前の社会人として歩んでいける」と安堵したのを覚えています。
息子の同級生は、社会人になった20代の雄資にも邂逅しているという。「(会った時は)普通でしたよ。病んだり、何か変わったな、と思うことはありませんでした。IT系の会社に入って、仕事を頑張っていると言っていましたね。その後、30代、40代に何か大きな挫折や、転落を味わってしまったのでしょうか……」と振り返り、嘆息していました。
しかし、就職して数年後、雄資は会社を辞めました。理由を聞いても、「自分に向いていなかった」としか答えず、詳細を語ろうとしませんでした。その後、再就職に向けた動きも見られず、家で過ごす時間が増えていきました。私は何度か「何か手伝えることがあれば言ってほしい」と声をかけましたが、彼は「大丈夫」とだけ言い、心を閉ざしているようでした。
矢口ゆうすけ「無職となったゆうすけの生活」
無職となった雄資は、家で過ごす時間が増える一方で、外出することも少なくなりました。家の中では、インターネットやゲームに時間を費やすことが多く、私との会話も次第に減っていきました。その孤立した生活ぶりを見て、「このままではいけない」と感じつつも、どう接すればよいのかわからなくなっていきました。
私自身、仕事で忙しい日々を過ごしており、息子としっかり向き合う時間を持つことができなかったことを後悔しています。もっと彼の内面に目を向け、彼が何を考え、何に苦しんでいるのかを知ろうとするべきだったのではないかと、今になって思います。
長野通り魔事件を受けて「いまだに現実を受け入れられない」
そして、今回の事件が起きました。警察から連絡を受けたとき、私は現実を受け入れることができませんでした。息子が人を傷つけ、命を奪うような行為に及ぶとは夢にも思っていなかったからです。事件の詳細を知るたびに、被害者やそのご家族のことを思い、胸が締め付けられる思いです。
私は、雄資がどのような思いでこのような行為に至ったのかを理解することができません。彼が抱えていた心の闇や苦しみを、親として見逃してしまったことを深く反省しています。息子が無職となり、孤立していく様子を目の当たりにしながら、私は何をしていたのだろうと自問せずにはいられません。
被害者とその家族への謝罪
この度の事件で命を奪われた方、そのご家族、そして傷を負った方々に対して、私は心からお詫び申し上げます。息子の行為が取り返しのつかない悲劇をもたらしたことを、親として深くお詫び申し上げます。どれだけ謝罪しても、失われた命や傷ついた心を元に戻すことはできません。それでも、少しでも償いの気持ちを伝えるために、これからの人生をかけて向き合っていく覚悟です。
犯罪者の親としての責任
私は今回の事件を通じて、親としての責任について改めて考えさせられました。息子がこのような道を辿ることになった背景には、私の育て方や接し方にも問題があったのだと思います。彼が孤立し、社会との繋がりを失っていく中で、私は何もできなかった。もっと彼の声に耳を傾け、彼が抱えている問題に寄り添うべきだったのではないかと強く感じています。
これからの人生、私は息子が起こした罪と向き合いながら、被害者の方々に対して何ができるのかを考え、行動していきたいと思っています。そして、同じような苦しみを抱える親や家庭に少しでも役立つようなメッセージを発信し、再発防止に向けた取り組みをしていきたいと考えています。
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